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読書記録とか。

モードの迷宮~試される妄想力~

大阪大学総長を務めた方が筆を取った、極めて真面目な書籍です。

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モードの迷宮/鷲田清一

今回はファッション関係の文庫本。
頭の先から爪先まで日本を代表するトップブランド、ファーストリテイリング社ファッション(UNIQLO・GU)で買ってきたぜ☆
今なお、増刷されている名作で、少し前にWWDというファッション週刊紙のラスト面で紹介されていたので、読んでみた。

感想は……
『エロティック、言いすぎじゃね? いや、何事もエロティックへ繋げすぎじゃね?』
── 完!

いや、絶対言いたくなるって!
元々は雑誌の連載で、それらを纏めたものだそうな。 参るぜ、なんなら SMファッション についても極めて学術的な視点で語られちまってるんだもんな! 見出しで!

不純な煩悩をさらけ出す悪い読者にとっては哲学的な内容も相まって、ただただ目を滑らせるような文章が続いたりもするんだけれど、結局終始『決着のつけられない、そして変遷しつづける曖昧な自己』とファッションを結びつけた……って感じかな。
パスカルがものすごく引用されてる。 そうこれはたぶん哲学書
エロティックを語るのも哲学視点だから……!
(ファッションとエロスは切っても切れねーなっていうタマゴニワトリな話でもあるけど)


真面目に、細かく行きましょう。


全編に渡り、『モード系』等に代表される『モード』という言葉を軸にファッションと〈わたし〉を紐解いていく。
喜びが臨界地点を超えると白けてしまうように、物を見るときに近すぎても遠すぎても正しい輪郭をとらえることが出来ないように、モードは極点に定まらない、常に揺らぎ続けるディスプロポーション
これは、そもそもファッションの守り続ける『プロポーション』が本来細部に手を加えるだけで全体の修正を要するものと相反する概念である事から口火が切られる。

我々はメディアや社会規範が作り上げた『こうあるべき』『これこそが道徳』ひいては『こどもらしさ』『自己同一』に雁字搦めにされ、こうした『不在の理想プロポーション』を目掛けて、時に身体という犠牲を払いながら変容し続けている。
こうしてモードは常にイニシアチブを持ち、厄介なことにコレは目まぐるしく変化する。
例として、この書籍の大半が集約されているといっても過言ではない表紙── コルセットを身につける女性と、こうした女性たちを取り囲んでいた社会、視線、何より彼女たち自身等が取り上げられる。
『ファッションに自己の身体を寄せる』という心身の拘束性はグリム童話版の『シンデレラ』も引用されて語られる。

そして、中核である〈わたし〉については
『私達は自分の顔を鏡越しでしか見ることが出来ない』
『素敵な〈わたし〉のイメージを裏切らないように』
『開かれた無限の可能性を自ら〈何か〉になることで縮減させ』
『スーツやユニフォームを〈正しく〉纏う事で可視性のコード化を呈し、ひとつのイメージを身に纏う』
等など、著書のフィールドであろう哲学が炸裂している。 表現は良くないが、哲学の地雷地帯といってもいい。
要は、自分自身とは何者かであるようで何者でもない、その狭間を常に往来している、ここでもやはりモードが先にありきの自己だ。

138Pには、1989年初版ながら、今の時勢にぴったりな話題があった。
マスクが『衣服の隠蔽性が最も極端な形で発動するもの』として例に挙げられていた。
〈わたし〉の存在を匿名化し、もはやモードが『私は誰か?』という人類の主題で遊んでいるのだとバルトの文言を「モードの体系」より引用して語る。

なぜ人はファッションに取り付かれるのか?
明日には今の最旬ファッションが廃れ、ダサいものに変容しているかもしれないものを追い求めるのは何故なのか?
コルセットや纏足、歩く機能性を棄てたハイヒール、暑苦しいワイシャツの第一ボタンやネクタイ、長すぎるスカートの丈等、身体を痛め付けてまでモードに縋るのは、他者から見た自己であり、社会に自己の居場所ともいえる座標を探す自己であり、『ありのままという自分がありえないないから』と鏡に映る自分が納得いく姿になるまで鏡の中の虚像を見る『自己』を守りたいから、なのかもしれない。

だいたいエロに直結して書かれているページも多い。
あと、販売員が読んで明日から使えるトリビアみたいなのはない。 寧ろ、ここにあることを紹介したら製品売れなくなるので口にはしない方が良いかもしれない(笑)
ただ、『モードってなんやねん?』という質問にはまあ……『その時代にドンピシャな存在』と置き換え、さらに『流行』という言葉に集約されるんだろうか。
モード……世知辛く儚く永久の迷宮を作り出す罪深い概念やね。



※解説ページで元同僚である植島氏は著者との対面を『端正な顔つきをしているが、髪の毛は薄く、』と、モードという言葉とは無縁なワードを交えながら紹介しているので思わず表紙の著者写真まで戻っちゃったよね。 ……狙ってるよね?(笑)

※全身、UNIQLO・GUな〈わたし〉に響いた言葉は以下です。
『皮肉なことに、ファッションに無関心な人ほど " 流行服 " で身を固めているようで、様式に拘るという本来の意味で、彼らこそ最もファッショナブルな種族なのかもしれない』

ありがとう、ファーストリテイリング
これからも『ファッショナブル』の提供をヨロシクお願い致します。

※一方で『服被り』についても言及されているので、『ファッション』って人の作る時代や精神に左右されるな……と感心したりね。 うん。

※あらゆる意味で想像力及び妄想力が試される気がします。 イメージ大事。